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About SHINGO HORIE

三重県奥伊勢出身。10代でスキューバーダイビングにハマり、ダイビングインストラクターになるため、尾道で海技学院に入学。卒業後、ダイビングインストラクターとして就職。山口県、鹿児島トカラ列島、沖縄本島を転々と仕事をする。その後、ダイビングの能力を活かしつつ人助けるため、海上保安庁に入庁。入庁後、潜水士、特殊救難隊として救助活動に専従しつつ、休暇では海外一人旅を続ける。3.11発生後、組織ではなく自分自身の力で人の役に立ちたいと考えていたところ、ドイツ旅で出会った知人がドイツ移住を勧める。悩んだ末、2014年1月渡独。現在、ドイツ語を勉強しつつ、自分探し中。

ドイツからの手紙 D. C. VOL.5

お久しぶりです。ドイツは夏の盛りも落ち着いて涼しい日が続いています。日本の猛暑や台風のニュースを見かけますが、お元気ですか? 少し前の話ですが、日本からやってきた友人とレンタカーを借りて小旅行をしました。ドイツでは短い距離を走ることはあったのですが、長距離をアウトバーンに乗って移動するのは初めてで大変でした。ドイツの高速道路と言われるアウトバーンはところどころ制限速度がありません。150キロくらいのスピードで走っているにも関わらず、後ろから距離を詰められてドンドン追い抜かれていくのはなかなか心臓に悪かったです。 今回は一人旅ではなかなか行かない所にも行きました。特に素晴らしかったのは南バイエルンのオーバーアルゴイでした。バイエルン建築の家の一部屋を借りて、近くで採れたチーズや野菜を使って自分たちでご飯を作りました。ベランダからオーストリアとの国境に座するアルプスの山を見ながらの食事は贅沢な時間でした。南ドイツを旅するときはオススメです。 友人の体力の関係で予定していた山の頂まではたどり着けませんでしたが、ハイキングに行くこともできました。歩いて2時間ちょっとの山なのですが、山の上にある湖はちょっと日本では見ることのできない風景でした。ちょうど休日だったこともあって、家族連れやカップルがラフな格好で登りに来ていて、山とドイツ人の関係の近さを肌で感じることもできました。 そういえば、いままで牛に興味の無かった友人が山を降りたら牛好きになって驚きました。なぜかバイエルンを訪れる友達は牛の魅力に取り憑かれやすい様です。

2019-01-13T14:12:57+09:002018. 08. 19|

ドイツからの手紙 D. C. VOL.4

昨年植えた梅の木の蕾が大きくなり始めました。雪も降る量を控え、17時には真っ暗だった夕方も少しずつ日没が延び、徐々に春の足音が近づいています。長い間、便りを出せず申し訳ありませんでした。そちらはいかがお過ごしでしょうか?僕は年末から最近まで忙しい日々を過ごしていました。いろいろなことを報告したいのですが、とても長くなってしまうので、最近の出来事を書きたいと思います。 こちらの大学でシュタイナー教育を学んでいると以前書きましたが、授業の一環で1月と2月は教育実習に行っていました。3年生になると必ずどこかの学校に出向かないといけないのです。どの学校に行けばいいのか迷っていたのですが、知人が働いている養護学校にて実習をさせて頂くことができました。 学校では併設している幼稚園から12年生(高校の3年生のことです)まで授業をする機会を得られました。担当してくださった先生は今年退職されるベテランで、厳しそうな雰囲気の中に子供達を見守る眼差しが優しく、芯を感じさせる方でした。学校には発達障害やダウン症、自閉症そして戦争のトラウマを持つ子が通っています。様々な事情を抱えた子供たちはそれでも明るく素直で(素直すぎて授業をボイコットしたり逃げ出したりしている子もいましたが)温かく僕を受け入れてくれました。時折、大変な子供を目の当たりにしてどうすればいいのか分からない時もありましたが、それは僕に分からないだけで、子供達は気持ちを言葉にできないから態度や動きで表すんだよ。とベテラン先生から教わりました。よく子供達を見守っていると、なんとなくですが気持ちが伝わってくる様な気がしました。 実習中に誕生日があったのですが、朝の集会で全校生徒がお祝いの歌を歌ってくれたり、様々なクラスの子供達がハグに来てくれたりしました。さらに嬉しいことに7年生のクラスで誕生会を催してくれました。生徒が焼いたケーキを一緒に食べて、いろいろな話を交わして、素敵な誕生日を迎えることができました。こんなに真直ぐに祝ってもらったことは記憶にないくらいです。 先生から学ぶことはもちろんたくさんあったのですが、子供達からもたくさんの事を教えてもらい、良い教育実習を経験できました。実習中に子供達に文字通り触られ掴まれた尾道デニム、その糸の中にも春の様な温かく素敵な時間が染み込んでいてほしいと思います。

2019-01-14T14:22:36+09:002018. 03. 01|

ドイツからの手紙 D. C. VOL.3

金色の丘があるという話を知っていますか? 昔、フランスのブルゴーニュにある葡萄畑が金色の丘と呼ばれていると本で読んだ事がありました。その丘をいつか見たいと思ってから随分と時間が経ちましたが、やっとその機会に巡り合うことができました。 夜行バスを降り、路線バスに乗り換えて目的の村に着いても暗い夜と凍てつく空気が広がっていました。地図を忘れてきていたので、勘に任せ迷いながら有名なロマネコンティの葡萄畑を見つけた頃、ようやく朝日が昇り陽が差し込んできました。 黄色く色づいた葡萄の葉が陽光を受け、丘の上から次第に赤みがかった黄金色に輝き葡萄畑が目覚めだします。どこかの醸造所の方達でしょうか、気付けば地元の方が集まってきて一緒に朝焼けの丘を眺めていました。久しぶりの晴れの日だったようです。ロマネコンティを飲んだことはありませんが、ここで見た朝日の美しさは同じくらい価値があるのではないかと思いました。尾道デニムもこの景色を覚えていて欲しいと思います。 いつか、あなたにもこの黄金の朝焼けを見てもらいたいと思いました。その時はブルゴーニュワインも一緒に飲みにいきましょう。  

2019-01-14T15:07:36+09:002017. 12. 02|

ドイツからの手紙 D. C. VOL.2

欧州では10月末の日曜日に冬時間への切り替えがおこなわれました。冬の到来です。日が短くなると朝8時でもまだ日が昇って来ないことがあり、心の奥の方に今からもう春を待ち遠しく思う気持ちがあることに驚きます。 もう遠い思い出になりつつある日本の夏では、山陽本線を乗り継いで京都の友人にも会う事が出来ました。近頃は京都を訪問しても向かう場所が限られてきています。好きな宿と隣接する友人の働く酒場で夜を過ごし、朝に気に入りの塔頭で石庭を見ながらのんびりするのが定番になっています。観光しないのは勿体無いと言われることもありますが、僕は贅沢な時間だと思っています。京都にお気に入りの場所はありますか?よかったら今度教えてください。 お盆には郡上八幡に行ってきました。もちろん徹夜踊りに参加するためです。同じく尾道デニムを育てている星屑社のかづ枝さんともお会いできました。残念な事に15日は雨だったのですが、雨に打たれても朝が明けるまで踊り続ける人たちの情熱が伝わって、ますます郡上八幡が好きになりました。いつか一緒に踊りに行ければ嬉しいです。あの踊り終わりの朝焼けを見て貰いたいと思いました。 夏休みの間フラフラしていたと思われるかもしれませんが、主に実家で稲刈りの手伝いをしていました。ただ日中は日差しが強くて田んぼに出ることが出来なかったので、小さい頃から通っていた大内山川にという川に潜って鮎を獲っていました。父が作った「しゃくり竿」という小さな竿を持って、毎日鮎を追いかけていたらすっかり真っ黒になってしまいました。 鮎のいる川で泳いだ事はありますか?スイカの様な鮎の香りがします。僕はこの香りを嗅ぐと、どうしても鮎を食べたくなるのです。祖父も父も川が好きで通っていたのでこれは家系だとおもいます。

2019-01-12T17:05:43+09:002017. 11. 05|

ドイツからの手紙 D. C. VOL.1

ドイツは気温が10度以下になる日も続き、秋を楽しむ時間もなく冬を迎えようとしています。スーパーマーケットには気の早いクリスマスケーキ、シュトーレンが並び始めました。日本は秋めき始めた頃でしょうか? この夏、日本に帰国する機会があったのでJR青春18切符を使って福岡から東京までのあいだ、各駅停車の旅をしました。この切符についてよく聞かれるのですが、心の中に18歳の気持ちと体力の欠片が残っていれば誰でも使えるみたいです。 瀬戸内海を右手に山陽本線を辿る旅の途中、どうしても寄りたかったところがありました。そこは尾道。前回の帰国では伺えなかった場所です。以前、旅するデニム2代目オーナーを請けさせていただいたことにお礼を言いたかったのです。 列車が尾道に着くと20年前に見慣れていた景色は少し変わって、若い観光客がたくさん歩いていました。あの当時の静かな商店街にも新しいお店が増え、すっかり活気付いています。随分と変わってしまったかな?と思ったのですが、海沿いを歩いていると瀬戸内海の香りが鼻の奥をくすぐり、林芙美子さんの「海が見える、海が見えた、5年ぶりに見る尾道の海はなつかしい」という放浪記の一節を思い出し、なつかしの尾道に戻った、ホッとした気持ちになりました。 夜には尾道海技学院時代の先生との再会も果たし、一緒に尾道デニムの店舗に伺うこともできました。驚いたことに先生はもう6本も尾道デニムを育てているそうです。いま尾道デニムの担当をされている和田さんと杏さんにもお会いし、ご挨拶することもできました。 嬉しい報告があります。もう一度、旅するデニムの2代目オーナーを任せて頂くことになりました。今度はストレートタイプのデニムを育てます。ドイツでは学校生活がメインなのであまり旅には出ることができないかもしれませんが、ドイツの空気をしっかりと吸い込ませたいと思います。 夜が更けるまで先生達や尾道デニムの方と語り合った翌日、久しぶりに渡船を使って向島まで渡ってきました。20年前ほとんど毎日のように使っていた渡船は本数が少なくなっていたものの、尾道水道の上を流れる風は変わらずで、昔、先生が「尾道水道には虹色の風が吹いている」と言った言葉と共に当時の生活を色鮮やかに思い出しました。あの頃から随分と時間が経った気がしますが、手を伸ばせばすぐそばにあるような思い出を嬉しく思いました。 懐かしのお店で食べた尾道風お好み焼きも変わらず美味しくて、頬張るうちに舌を火傷してしまいました。尾道に寄ったら是非鉄板からお好み焼きを食べてみてください。美味しいお好み焼きと火傷の関係がわかると思います。 夏の日本を旅したので、ドイツの様子を書く前にデニムとの日本旅の様子を記したいと思います。しばらくお付き合いください。

2018-12-03T14:29:36+09:002017. 10. 03|

ドイツからの手紙 VOL.25  〜最後の手紙〜

7月、1年生の修了試験と発表会が終わると2ヶ月あいだの夏休みに入り、9月からの新学期に備えることになる。ほとんどの学生は休暇中に旅行をしたり家族と過ごす中、僕は日本に一時帰国することにした。帰国する時に尾道デニムを返そうと思っていたから、デニムとのドイツ生活もこれでおしまいだ。 日本に着いてからも、しばらく尾道デニムと旅をした。まずは新潟の苗場のフジロックフェスの場外屋台でのバイト。時折微かに響くアーティストの音楽を聴きながら、あふれ返るお客さんに徹夜で接客したり、横浜や東京から青春18切符を使って、地元三重県まで、日本の夏をさまよってみた。   また同じ様に、この旅するデニム企画で尾道デニムを穿く岐阜県郡上八幡の星屑社かづ枝さんにも再会した。もちろん、郡上おどりを徹夜で踊って夏を満喫する事も忘れずにだ。日本でもしっかりとデニムと旅をする事が出来た。   そして最後には郡上の新橋から下の吉田川へ、最後の思い出作りとデニムへの感謝を込めて13mのダイブ。   1年半は本当にあっという間だった。尾道デニムと沢山の旅をできたのは、本当に良い思い出になっている。デニムもいい旅ができたと思ってくれると嬉しい。次のオーナーとも素晴らしい旅をできることを心より祈って、“ドイツからの手紙”を最後に投函します。 尾道デニムプロジェクトの皆さんに、心からの感謝を込めて。Tausende Danke! [...]

2016-08-25T18:53:24+09:002016. 08. 25|

ドイツからの手紙 VOL.24

今、ドイツの大学で何を学んでいるの?と聞かれると「オイリュトミーとアントロポゾフィーを学んでます」と、まずはこう答えている。日本人に伝えるとまず99%「?」といった顔をされる。僕もドイツに来るまで全く知らなかったから当然だ。 僕は今、シュタイナーの教育学の一環でオイリュトミーという動きを学んでいる。オイリュトミーとは何か?と聞かれると、まだうまく伝えられないけれど「言葉や音楽を体で視覚化する芸術のひとつ」だ。現代舞踏に近いと思われるのだけど「踊る」と言わずに「動く」と言っている。シュタイナー学校では必修科目で、幼稚園から高校卒業まで様々なオイリュトミーの授業を行っていて、成長や精神の発達を促すために必要な科目として取り上げられている。医療の分野でも治療オイリュトミーという動きがあり、様々な病気の治療に役立っている。 授業ではドイツ語の「母音、子音」に合わせた動きや、クラシック音楽を表現するためにどのように動くかを学んでいる。これまでクラシックを聴く機会は少なかったけれど、今は授業のために古典音楽漬けの毎日だ。  授業中はオイリュトミークライドと言われるドレスのような服を着て動いていて、当初は足元の風通しが良すぎて落ち着かなかった。寒い日はこのドレスの下に尾道デニムを履いている。 同級生は20代前半と若くて、世界中の様々な国から学びに来ている。週末や学期末の発表が終わると、みんなで集まって遊んだり、街に繰り出したりしている。もちろん尾道デニムも一緒に大学生活を満喫しているところだ。

2018-12-03T14:50:14+09:002016. 06. 24|

ドイツからの手紙 VOL.22

ドイツでの新年 ドイツの新年の祝い方は日本とはまったく違う。除夜の鐘の代わりに年が変わった途端、街の至る所で花火が打ち上がる。行政が打ち上げているのではなくて、個人が好き勝手に街の至る所で花火を打ち上げている。家のすぐ側であっても普段は人通りの多いメイン通りであっても、教会のそばであっても関係ない。街じゅうが煙に包まれる。 新年を迎えた瞬間、ドイツで花火に火をつけることができる年に一度の時間が始まる。実はドイツでは普段は花火は売られていなく、遊ぶことはできない。その反動なのか、普段は秩序を重んじるはずのドイツ人が老若男女、この時間に一斉にはしゃぎだす。花火は無秩序に打ち上がり、どこから飛んでくるかわからない。もちろん間近で炸裂する花火は怖くもあるけれど、夜空に輝く花火はやはり美しい。もちろん日本には敵わないけれど。今年の年越しは友達に誘われて葡萄畑のある山の上から花火を見下ろした。 大学生活とデニム 実は昨年の夏の記事を掲載している間に、Stuttgart(シュツットガルト)という街で大学生になった。ここはベンツやポルシェの本社のある街なのだけれど「ドイツ最大の村」と揶揄されるほど、のんびりしている。そして尾道のように坂が沢山ある街だ。 ドイツでは坂が多い街は斜面を使った葡萄栽培が盛んになる。だから、この地域ではビールよりもワインの方がよく作られるようで、秋には黄金色に輝く葡萄畑を見ることができた。 大学では20歳前後の同級生に囲まれながら、ワイワイと勉強している。日本では馴染みのない分野でドイツ語の授業にもキリキリ舞いだ。デニムもまさか大学生活を経験できるとは思わなかっただろうけれど、僕も大学生活を送るとは思わなかった。年齢はこの国では関係ない。デニムとともにキャンパスライフを楽しもうと思う。

2018-12-03T14:52:07+09:002016. 02. 04|

ドイツからの手紙 VOL.21 

デニムとの夏の旅を長い間書き記していたら、あっという間に紅葉が終わり冬になってしまった。ドイツの秋は短く、あっという間にヴァイナハト(クリスマス)一色だ。 11月30日の「聖アンドレの日」に一番近い日曜日から、12月24日の日没までアドヴェントと呼ばれるクリスマス期間に入る。この期間中は各街の広場で「ヴァイナハツマルクト(クリスマスマーケット)」が催されたり、キリストの生誕に関連する劇やコーラスが盛んに行われている。僕も仲間たちと街に立ってコーラスをして、クリスマス気分を高めてきた。知らないおじいさんが突然コーラスに参加するという一幕もあり、ちょっとしたプレゼントをもらったような暖かい気持ちになった。 街によってヴァイナハツマルクトには特色があるので、12月はマルクトを巡るのも楽しい。Esslingen(エスリンゲン)という街では、中世時代を再現したヴァイナハツマルクトが少なくとも30年以上前から続いている。ここは一番気に入っているマルクトだ。お店や店員は中世を再現しており、手回しの観覧車など、普通のマルクトと違って見ていて楽しい。   プレゼントやツリーへの飾り付けを探した後は、友達とグリューヴァインと呼ばれるホットワインを飲んで雰囲気を楽しむのもこの季節の醍醐味だ。 家庭ではこの期間、ヴァイナハツカレンダーと呼ばれる毎日の小さなサプライズの贈り物があったり、サンタクロースの元になった「セントニコラウスの日」にプレゼントをもらったりと、ドイツ中の子供達がふわふわと浮き足立つ。また、あまり知られていないのだけれどクリスマスツリーはクリスマスイブに飾り付けるのが一般的で、ツリーの発祥はドイツだ。どこの家も本物の樅の木を使うので町にはツリー屋さんが姿を見せる。一年で800万本の樅の木が使われるそうだ。 日本とのクリスマスの過ごし方の一番の違いは「クリスマスは恋人と過ごすのではなく、家族と過ごす」というところだろうか。だからクリスマスが近づくと、皆は故郷に帰ってしまう。少し寂しいけれど、嬉しそうに故郷に帰る友達を見送るのも暖かい気持ちになる。

2016-01-09T22:08:23+09:002015. 12. 29|

ドイツからの手紙 VOL.20 〜スイスのポストから〜

スイスの山へ アイガー、メンヒ、ユングフラオ(Eiger,Mönch,Jungfrau)と呼ばれる山々を知っていますか? これらはスイスのグリンデルヴァルド(Grindelwald)に座する三山で、マッターホルンに並び有名なスイスの山岳観光地だ。夏の終わり、友人に誘われてこの地を訪れた。いつかは訪れたい場所の一つだったので、誘われた時は即答していた。 スイスの山はドイツやスウェーデンとは全く違う。威厳があり険しい表情をしているけれど、どこか懐に抱え込もうと優しい顔をして誘惑してくる様にも見える。要するに美しい。 数々の登山家の命を奪った有名な「アイガー北壁」も、街から望めば美しい山並だ。今回は友人が貸別荘を借りくれて滞在したが、朝起きると目の前に朝日を浴びた北壁が輝いていた。 グリンデルヴァルドの山はロープウェイや登山列車を使って登る事も出来る。さすがに山頂までは行く事はできないけれど、ユングフラオの鞍部「ユングフラオヨッホ」まではアイガーの中を貫くトンネルを抜けて訪れることができ、100年も前にアイガーの中を通す大事業に携わった人達の情熱を感じられる。標高は3466mまで一気に上がるので少々酸素が少ないけれど、氷河や雪を纏った三山を間近で観る事が出来た。 このグリンデルヴァルドは、山を見るだけではなくてハイキングや登山、パラグライダーも楽しむ事ができる。さすがに北壁に挑戦することはできないので、僕はアイガー北壁の下を歩くルートや、インターラーケンまで歩くロングルートをスイスの山々を眺めながら一人で歩いてきた。友人は一生に一度かもしれないので、とスイスの空をパラグライダーで飛んでいた。青い空に浮ぶカラフルなグライダーを見つめて、いつかは僕も空を飛んでみたいと、新しい目標が出来た。 どうやって生活しているんだろう?と不思議に思う山の斜面に村や家がある。不便な生活なのかもしれないけれど、山に抱かれる生活は羨ましくも感じる。もしこの街に住んでいたら・・・と、想像し、ワクワクしながら本場のチーズフォンデュを美味しく頂いたのは良い思い出だ。 この夏、北極圏とスイスの雪の上を旅することになったデニム。彼はすでに旅に居なくてはならないの相棒だ。

2016-01-09T22:09:01+09:002015. 12. 13|

ドイツからの手紙 VOL.19 〜北欧のポストから PS〜

スウェーデンのふる里へ Lapplandの旅を終えた後、夜行列車とバスを利用してスウェーデンのふる里と言われるMora地方を訪れた。 キャンプサイト側にある湖のほとり、ウッドデッキ上に寝転がって日向ぼっこをしていると、北極圏を旅してきた事が不思議に思えてくる。 Moraの旅の途中で、間違えて小学生の送迎を兼ねたバスに乗ってしまった。少し驚いたけどバスの運転手のおばちゃんが、まあ大丈夫。と優しく微笑んでくれた。バスの窓から眺めた赤と白が基調になった町並みと青空は柔らかく、街の人達は優しくて、人との繋がりを思い出させてくれた。 北欧旅の途中、スウェーデンの作家リンドグレーンの「長靴下のピッピ」を読んでいたのだけど、子供達のはしゃぐ姿を見て原作と重ね合わせていた。旅には必ず何冊か本をもっていくのだけれど、重くても旅先にあった本を持って行くのが好きだ。 ストックホルムにて ストックホルムまで南下すると、人の多さに圧倒され心が追いつかなかった。だからLoppisというフリーマーケットや古道具屋巡りなど、とくに観光せず街中をぶらぶらと歩いて過ごし、のんびりと心が追いつくのを待った。とくに興味はなかったのだけど、北欧雑貨のアンティークを見ていると、古くから続く北欧デザインに心奪われてしまった。さすがに高い品が多く、気軽には買えなかったけれど、気に入った品を何点か買うことが出来たのは幸運かもしれない。 ストックホルムの物価は高く、外食をためらってスーパーをウロウロしているとLapplandでおばあちゃんが売ってくれた様な丸いパンが売られていた。試しに買ってみたがとても美味しくて主食になっていた。ドイツで手に入らないのが残念だ。 ストックホルムは海が近い。海の香りをかぎながら、街中をぶらぶらとめぐり、夜をもとめてウロウロしていると、やっと心が追いついて、ドイツに戻る決心が出来た。 そんな北欧旅を終えたデニムは旅の前と表情が一変した様に感じる。デニムを織る糸の一本ずつに、北欧の自由の風が抄き込まれたからかもしれないし、ただ荒野にくたびれたのかもしれないけど、さらに良い顔になってきた気がする。 [...]

2016-01-09T22:09:56+09:002015. 11. 25|
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